第0章
Introduction
about
はじめに
私が「ものづくり」を好きになったのは、祖父の影響が大きいです。
幼い頃から、木工制作をする祖父の姿を見てきました。
一緒に作業したり、自由研究で小屋を作ったり。
「なぜ祖父は今、木工でものを作っているのだろう?」
祖父はどんな人生を歩み、どんな転機を経て、今の木工制作にたどり着いたのか。
私のものづくりの師匠である祖父へのインタビューを通して、
「人生の転機」を聞いてきました。
profile
登場人物
第1章
子ども編
かんた
まずは子ども時代を聞きたいんだけど、どんな子どもだった?
みつお
一言で言うと何かを作るのが好きな子どもだったね
みつお
小学校の頃は薪を割ったり、削ったりしながら木で模型飛行機を作ったりしたね。長さ20cmぐらいの大きさだったかな。
みつお
小学生のころ冬になって雪が降り始めて、これ明日積もるなと思うと夜ね、ソリを作ったな
。雪が積もると高さが
5、6mぐらいある崖の上から滑って降りる。一冬に30cm以上積もるのが2、3回あったかな。
みつお
東京の外れだからね。
かまくらみたいなさ雪をこう積んでってドーム型にしてさその中で座るとかそういうのも作ったね。
みつお
あとは、山がすぐ近くにあって友達と山の中に秘密基地を作ったね。竹とか木の小さいのとかを縄で縛ってさ、小屋を作ったんだ。
かんた
いいな、子どものころ俺もそういうのやってみたかった
みつお
楽しかったよ、それで秘密基地だぜって意気揚々と次の週行ってみたらさ、
何も残ってなくて。
かんた
子どもの頃は将来も何かモノづくりの仕事したいって考えてた?
みつお
全然そういうのは思って無かったね。けど、机にじっと座ったりする事務職は嫌だなって思ってた。
かんた
そうなんだ。でもエンジニアリングの会社で色々作ってたんだよね
第2章
社会人編①
かんた
どうしてエンジニアリングの会社に就職しようと思ったの?
みつお
高校三年の頃ね一応自分では勉強したつもりだったんだけど、行きたい大学には足りなかった。これじゃだめだなって。
で、土木とか建築やりたかったんだけど、その専門学校っていうのがないし、このまま仕事も嫌だし、電気系でもいいかって思って東京電子専門学校に入学した。
みつお
いや、物理で習った程度の電気の知識しかなかったね。
そこで色々、真空管の原理とか仕組みとか、なんでラジオは音が出るのかとか、テレビはどうして映るのかとか勉強したね。
みつお
試験の教室にテレビが置いてあるんだよ。それを先生がニッパーで、ポンって1本、抵抗の足とかを切っちゃっとくわけ。で、どこが悪いか探せっていう試験。
みつお
テスターを使って、こう、画像をみながら、「あ、ここ、この信号が出ない」とかね、音が出ないとか、そういう現象をみながら、回路図を見るわけ。あ、この抵抗が断線してます。ってね。そういう試験だった。
みつお
この専門学校に入学したのが一つ目の転機かな
みつお
俺がね、行きたかったのはね、計測機メーカーでね、日本で一流の計測機メーカーがあったんだよ。
ちっちゃいんだけどね。技術的にはすごい優秀な企業があった。そこに行きたかったんだけど、学校の先生はさ、そういう小さい企業に合格したとか、出しても学校のネームバリューにならないじゃん。
みつお
でしょ。日立とか、東芝とかだとさ、大手だと学校の格が上がるって錯覚してるわけ。ほんで、「日立受けろ、東芝受けろ、日明受けろ」とか言って。
だけど俺は大きな会社に入って社会の歯車になるのが嫌で、少々妥協したのが京神日立エンジニアリングっていう会社。
みつお
日立の直系の子会社でエンジニアリング会社。
そこに入ったら、なぜかコンピュータのコの字も知らないのにいきなりコンピューター工場に配属になった。
みつお
そう。それで「コンピュータって何ですか?」って聞いたね。笑
みつお
その日立の上司がさ、結構自主性を重んじてね、型にはめない。アドバイスはするけど、型にはめて育てないっていうね。
みつお
入社して1年経つと成果発表会ってあるわけ。
「1年間でこれだけのことを勉強してマスターしました。」って発表するんだけど、そのために他の工場では上司がテーマを決めて指導していくわけだよね。
みつお
うん。だけど、俺の上司はそういうこと一切干渉しないで、テーマは自分で決めろていうタイプだった。これがすごい俺にとってよかったんだよね
みつお
色々作ってけど印象的なのは特許とったやつかな。
みつお
三つとったね。電源の遠隔制御と、システム切り替えと、もう1つ何だったっけな。
みつお
そうそう。新幹線とかさグリーン車とか。あれを、昔は全部人間が手でやってたんだよ。
人間が1枚1枚、「あの座席がまだ空いてる」とか確認しながらやってたわけ。それをコンピューターで自動計算して、この座席が埋まりましたとかさ、そういうシステムを作った。
みつお
1人じゃないよ笑。俺はその中のシステムコンソールっていうシステム統合制御装置の担当だね。
かんた
システムコンソール?システム統合制御装置?
みつお
簡単にいうと、座席予約がどうのこうのっていうのは、中央処理装置っていうコンピューターがあって。
そこに記憶させていくわけ。新しい注文が来るとそこから読み出してきて予約が埋まってる所を自動識別するわけ。
みつお
で、俺がやったのはそういう自動識別するとか言うんじゃなくてその装置が正常に動いてるかとかね、この装置で異常が発生してないかとか、
そういうシステムを制御したり監視したりする装置を作ってた。
みつお
普通のコンピューターはみんなバックアップがあるわけ。
だけどシステムコンソールはバックアップなんてないんだよ、1台きりなわけ。だからちょっとした電圧の変動で誤動作したり間違っちゃうと困るから
誤動作しない仕組みを作らなきゃいけない。その仕組みを作ってたね。
みつお
そうだよ。他の装置はさ、いかに高速に処理するかとかね、読み書きするかっていうのがテーマになるんだけど、
システムコンソールっていうのは高速っていうことでなくていかに正確で安全に制御できるかってことが求められる。
みつお
そう言うこと。システムコンソールっていうのはシステムに1台きりしかないし、システムはお客さんによって全部違うから、みんな1台1台、お客さんの要求に合ったものを作ってる。
そのために打ち合わせとか、よく行ってたな。
かんた
仕事はずっとシステムコンソール作ってたの?
みつお
システムコンソールは10年ぐらい作ってたかな。そのあとやったのは日本初の画像処理ができるコンピューターシステム。
かんた
仕事はずっとシステムコンソール作ってたの?
みつお
システムコンソールは10年ぐらい作ってたかな。そのあとやったのは日本初の画像処理ができるコンピューターシステム。
第3章
社会人編②
みつお
当時のコンピューターはデジタル処理だけで、画像処理っていうのは当時できなかったの
みつお
例えば、印鑑証明とかね。ハンコの実物をこれが本物かどうかっていうのを押されたものを認識して判断するの
みつお
当時はね、そういう絵を表すとかのコンピューターがなかった。それで物珍しいっていうんで、1年に2回を5、6年くらい晴海の展示場で展示してたね。晴海の展示場って今もある?
みつお
なんか今調べてみたら東京ビックサイトってとこに変わってる。
みつお
もう変わっちゃったのか。仕事で一番大変だったのがその展示場だったな
みつお
コンピューターを晴海の展示場に持ってく前に日立の自社ビルに出品するやつを工場から全部集めて、正常に動くかどうかを確認してから晴海に持っていくんだよ。
みつお
それでね、ある年のビルに持ってくっていう前の晩にね、燃えちゃったんだよ。
みつお
装置が火を噴いちゃった。何でかというと、静電試験っていうのをやるんだよね。静電気で誤動作しないかどうかってチェックするんだけど、
その時にショートして
バーッと火を噴いちゃった。もちろんすぐに安全装置が働いて火はさーっと消えたんだけど一瞬でも過電流が流れたから電線の絶縁体が溶けちゃってるとこがあるわけ。
みつお
そうだよ。直してる暇ないわけだよ。でビルに持ってってから修理するんだけど
3日間連続で徹夜したなあ。
みつお
うん。「一睡もしないで倉島さん
大丈夫ですか。」って言われたね。でもこれ動かさないと晴海に持っていけないじゃん。
他の工場の人からはなんで今になってバタバタしてんだっていうような目で見られちゃってさ。
みつお
けど 自分で撒いた種なんだから誰に文句言うわけにもいかないしさ。だけど
部下はちゃんと旅館にホテルに返したよ。
3日徹夜したの俺だけで部下は一緒に付き合わさせたりはしなかったね
みつお
当然。責任者が責任取らなくちゃどうすんだ。晴海に持っていってからは何も事故なく終わったね
みつお
人生山あり谷ありじゃねえな。人生谷あり谷ありだな。それでも楽しい人生だったよな。
最初に社会の歯車になるのは嫌だっつって日立行っけど結局やりたいことをやらせてもらえたし、しょっちゅう新しいものに挑戦できたし、それが良かったかなと思ってるね。
みつお
周りの人に恵まれたんだろうね。さっき言ったコンピュータを作るっていうのもさ、それを作ろうと決心したのも1担当者の俺が決心なんかできるわけじゃなくて、
当時の部長とかさ、そういう人が決心してコンピュータを作るからね。
みつお
そうだね。当時、急にコンピューターの工場に配属になったけど、それが良かったのかもね。
それで退職してからはぼーっとしてんのが嫌だから、なんかものを作るのは昔から好きだったし、なんか作るかって感じで木でいろいろ作ってる。
みつお
今はカラクリ箱を作ってる。今日そのカラクリがうまくいったところ
かんた
じゃあこれでインタビューを終わります。ありがとうございました。